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こんにちは!
かぼちゃです。

僕は幼稚園児のときに
両親が離婚して父子家庭
なりました。

なので、母親の愛情をろくに
受けずに育ちました。

そんな僕が片親で味わった
嫌な経験とかを物語で書いていきます。

目次

1、幼稚園児の時に両親が離婚して起こった事

僕は、ほとんど母親と一緒に暮らした
記憶がありません。

それもそのはず、僕が幼稚園の年長くらいの
ときに僕の元を去ってしまったからです。

あの時の事は、今でも
断片的に覚えています。

僕の住んでいた家は
2階建てでした。

それなりに普通の家庭くらいの
広さはある一軒家でしたね。

当時僕は確か2階にいたんですが、
なにやら1階が騒がしかったんですね。

どうやら父と母が大声で
喧嘩をしていたみたいなんです。

会話の内容は全く覚えていないのですが、
ものすごく激しい言い合いだったと思います。

僕は何が起きてるのか全くわからず、
ポカーンとしていました。

結局そのまま、
何もわからずに父親に手を
引っ張られて家を出ていく事になりました。

本当に何がなんだかわからん状態でした。

だって、今まで仲良く一緒に
暮らしていたんですよ。

それが突然お別れになるなんて。。

けど、不思議な事に
僕はあまり悲しいという感情は
抱きませんでした。

一緒にいた兄はものすごく
号泣していましたが。

「なんで、お母さんいなくなっちゃたの?」
「どうして一緒に暮らさないの?」

と普通の小さい子供らしく
振舞っていました。

今思うと、僕もそれくらい
素直に言えれば可愛げがあったと
思いますが本当に何も思わなかったのです。

でも、明らかに母親がいた時と
いないときでおかしくなった部分が
ありました。

それは、、、

人とうまく話せなくなったのです。

僕は、両親が離婚するまでは
普通の明るい子供でした。

自分で友達を遊びにも
誘えましたし、
元気よく外で遊びまわってました。

幼馴染もいたので
それなりに友達とかにも
恵まれていたと思います。

でも、離婚をきっかけにして
どうやって人とうまく話して
いいのかわからなくなったのです。

どうしてそうなってしまったのか
当時はわからなかったのですが、
今ならよくわかります。

人間って、5歳くらいの家庭環境で
その後の人格が決まると言われています。

僕は丁度、5歳くらいの
時に両親の離婚と言う
大きなショックを受けて
おかしくなったんだと思います。

だって、自分を一番愛してくれる
母親に裏切られたんですからね。

このつらさは、同じ境遇の人に
しか絶対にわからないと思います。

しかも、さらに嫌な事に
せっかく一軒家に住んでいたのに
狭いアパートに引っ越すことに
なってしまいました。

これがまた地獄のような
生活だったんですよね。

片親+貧乏+コミュ障と言う、
三連コンボの完成です。

2、片親のせいで学校の友達と遊べなかった

そして、小学生になってから
また嫌な出来事は起きました。

まず一つ目の嫌な事は、
学校の友達と遊ぶことが
できなかった事
です。

なぜかと言うと、
学校が終わったら
学童に預けられていたからです。

家には誰もいないので、
そういった場所に預けられて
いたわけですね。

しかも、結構遠い場所に
あったのでそこまで歩かされる
わけです。

他のみんなは、家に帰って友達と
遊んだりしているのに
自分だけわけわからんところに
行かされるわけです。

これは、本当につらかったですよ。

学校の友達から遊びに誘われても
遊ぶことができないんですよ。

「かぼちゃ君、一緒に遊ぼうよ!」

と誘われても、

「ごめん、ちょっと無理なんだ。。」

そう言うと、

「何で?」

と無邪気に言われるわけです。

「何でって言われても。。」

みたいに返答に困る
わけです。

そうやって、遊びの誘いを
断ってばかりいると二度と誘って
くれなくなります。

友達付き合いを学ぶ
大事な時期に学ぶことが
できなかったわけです。

他にも、
「なんで、かぼちゃ君にはお母さんがいないの?」
とか言われたりもしました。

これが、まあこれからの
人生に大きく影響を与えてしまう
事になるわけです。

学童にも同じ年くらいの
子供はいっぱいいたんですが、
正直いじわるな奴ばっかだったので
なじめませんでした。

小学校低学年までは
そういう感じでしたね。

何か学校であっても、
父は仕事があるので送り迎えもしてくれません。

他の家の子は、熱とかだしたら
すぐにでも母親が向かいに来てくれるのですがね。

勉強もみてくれる人がいないので、
勉強もしなくなり成績も最低でした。

小さな子供が、自分の意志で
勉強できるわけないですからね。

親の教育で全て決まります。

でも、幸いなことに
小学校高学年になってくると
学童に行かなくてもよくなり
学校の友達と遊ぶこともできるようになりました。

3、友達の誕生日パーティーに呼ばれて感じた格差

あるそれなりに裕福な
家庭で育った友達の家に
誕生日パーティーでいった時の事です。

その子の家は、
新築でとても広くてきれいな
家だったんですよね。

僕のボロアパートと比べると、
雲泥の差ですよ。

小学生ながらにして
家庭の格差を味わったわけです。

でも、本当に悔しかったのは
そこじゃありませんでした。

何よりも悔しかったのは、
その子のお母さんでした。

めちゃくちゃ優しいんですよ。

僕が、遠慮してお菓子を
あまり食べないでいたら、

「かぼちゃ君、どうしたの?」
「遠慮しないでどんどん食べなよ」
「ほらチョコレートもポテチもたくさんあるからね♪」

みたいなことを
言ってくれたんですよね。

他にも色々優しくしてくれたので
これがお母さんか、と思いました。

そして、何で僕には
お母さんがいないんだ・・・

僕、なんか悪い事したの?

どうして・・・

表面的には楽しくしていましたが
心の中では泣いてましたね。

本当に僕は母親からの愛情を
一切受けてこなかったので。。

でも、小学校高学年の
うちは友達とたくさん遊んだり
したのでそれなりに充実していました。

4、コミュ障でボッチだった中学時代

小学校の時もコミュニケーション能力は、
低かったのですが中学に入ってから
より悪化しました。

中学校に入ると、
一気に付き合わなければ
いけない人数は増えます。

2クラスだったのが
6クラスにまでなり、
当然友達付き合いもより複雑になります。

僕は小学校の時は
周りの友達に助けられて
生き延びてきたんですが、

中学に入ってからは自分から声をかけないと
友達は作れません。

周りではどんどん友達の輪が出てくる中
自分だけ一人ぼっちなわけですよ。

これは想像以上に
苦しかったです。。

席替えで僕と
同じ班になった奴からは、

「コイツ暗いからつまらん」
「早く席替えしてえ」

みたいなことを言われたこともあります。

中には、
「wwwお前自閉症だろwww」

こういった悪口も
平気で言われます。

僕もなぜ自分がこんなに話せないのか
わかりません。

本当にそういう病気か疑った
こともあります。

でも、それは病気ではなく
幼少期から母親とコミュニケーションを
キチンととってこれなかったからです。

つまり、圧倒的なコミュニケーション不足が
原因だったんですね。

普通の家庭で育った子は、
毎日母親と何かしらの話は
しますからね。

僕の場合はそれが
一切なかったわけです。

女性の方が近所づきあいとか友達付き合いも
得意だし、そういったところからも
自然に学べることがあったはずです。

それと、恋愛でも圧倒的に
不利になります。

この世で一番最初に会う異性は
母親ですからね。

しかも自分の事を一番に
愛してくれる異性です。

母親からすら愛されなかった男が
他の女の子から愛されるわけはありません。

周りの同級生見ると、
恋人がいる奴は家庭環境も
いい奴が多かった気もします。

愛情をいっぱい注がれて
育ったんだと思います。

正直、うらやましいを
通り越して妬みや嫉妬しかなかったです。

それどころか、
小さな子供が母親に甘えまくってるの
もみてもイライラしていました。

こいつらは、母親に甘えられて
ずるいな。。

俺なんかそんな甘えた事
ねえぞ。。

このような負の感情しか
なかったです。

そんなやつには誰も近づきたくないので
友達はものすごく少なかったです。

0じゃないだけマシだと思われますが、
心から本音を言える友達は一人もいませんでした。

5、中学2年になって初めて受けたいじめ

そして、不幸は畳みかけて
きました。

これを書くのはかなり恥ずかしい
事なんですが、全てぶっちゃけます。

なんと、僕が生まれて史上初の
いじめを受けました。

どういったいじめかと言うと、
毎日バンバン叩かれたり
悪口を言われまくったり
お金をカツアゲされたりです。

大勢からいじめられていたわけでは
ないのですが、特定の奴から
いじめられていたわけですね。

もう自分が情けなかったです。
最初は、いじめられてないと
無理して思い込むようにしていました。

「俺はいじめられているんじゃない」
「ちょっと、からかわれているだけだ」

弱い自分を認められなくて
強がっていました。

でも、段々エスカレートしていって
ついには学校を仮病を使って
休むようにまでなりました。

そうやって、休みまくっている内に
担任が家にやってきて、

「なんか学校であったのか?」

と聞かれました。

そして、全てを打ち明けました。

結果はどうなったかと言うと、、、

無事にいじめ問題は
解決しました。

そいつの両親にも
あやまりに越させお金も
返してもらいました。

そこで、ちょっと驚いたこと
があって、そいつの両親は普通の
感じだったんですよ。

なんで、こんなクソみたいな
やつになったのかよくわかりませんでした。

恵まれすぎても
クズみたいになるんだと
この時は思いましたね。

まあ、解決したから
どうでもよかったですが。

中学2年の時は、
本当に地獄でしたね。

6、中3になってもまた変な奴に目をつけられる

また、違うやつから
いじめを受けました。

今度も、ねちねちした
いじめですごく嫌な思いを
しました。

そいつは、クラスの中では
嫌われていた奴なのですが、
そんなレベルの低い奴からも
目をつけられるくらい僕は弱かったのです。

放課中変なところに
連れまわされたり、
殴られたりもしました。

なんで、俺ばかりこんな目に合うんだ・・・

マジで学校とかクソだわ。。

みんな何であんなに楽しそうに
してるんだ。

意味不明。

学校は楽しい奴には
天国かも知れないが、
僕みたいに嫌な事ばかりあると
この世の地獄になります。

これも、一種の格差ですね。

いじめ問題は、
僕が担任にチクったので
解決しましたがそれも
情けなくて恥ずかしかったです。

僕だって自分の力で
やり返したかったですが、
そんな軍事力僕にはありません。

体が小さくひ弱なうえに、
コミュ障。

そりゃなめられますわ。

なので、他人の力を
借りるしかなかったのです。

嫌な事続きの
中学生活でしたが、
無事卒業できました。

高校は超低偏差値の
工業高校にいったので
何も思い出なかったので
すっ飛ばしますね。

次は、社会人になってから
片親で苦労した話です。

7、上司からお前親からどんな教育受けてきたんだよと言われる

会社入ってからも、
僕のコミュ障が炸裂しました。

仕事でうまく話せないので
罵声を浴びせられまくりました。

「お前、本当に使えねーな」
「もっと大きい声でしゃべれや」

そして、、、

「お前親からどんな教育受けてきたんだ?」
「お前の親の顔見てみたいわ」

と言われました。

親の教育って。。
そもそも母親いなかったし
まともな教育なんて受けとらんわ。。

と心の中で思っていました。

そして、これを聞くと不快な思いする人が
いると思うのですが僕が思った事を本音で書きます。

社会人になると、
よく
「親に感謝しろ」
だの
「親孝行しろ」
だの

言われるわけですが、
僕は全く思わなかったです。

感謝したくなるほど
愛情は受けてこなかったので
そんな気持ち沸いてきませんでした。

こういうこと言うと、
「親がいなかったらお前は生まれてこなかっただろ」
「父親が男で1つで育ててくれたんだぞ」

って言ってくる人が
いると思います。

確かにその通りだと
思いますよ。

でも、人間ってそんなに理屈では
割り切れないんですよ。

憎しみや恨みの感情の方が
勝ってしまうんです。

僕はどうしてもその負の感情に
押されてしまうんです。

結局会社は辞めてしまいました。
その後、引きこもりになるんですが
その話は今回はしません。

詳しく知りたい方は
僕のプロフィールで
語ってます。

ここまで、片親が原因で色々と
苦労をしてきたわけですが
ある事がきっかけで僕は変わる事
ができました。

8、ネットビジネスに出会って僕の人生は変わった

ネットビジネスと言うと、
何やら怪しそうだとか詐欺だと
思われるかもしれませんね。

それも仕方ありません、
僕も最初はそういった認識でしたから。

とある方に出会うまでは。

そのとある方の事を
最初に知ったのはYouTubeでした。

後に、僕の師匠となる方です。

その方は、YouTubeでたくさん情報発信
されていました。

うつ病に関するコンテンツだったり
大学受験に関するコンテンツだったり
色々ですね。

その中で、この方は
自分の過去の体験談を
よく話すんですよ。

その体験談が、
僕とあまりに似ていてビックリしました。

例えば、
中学不登校だったり
家庭環境がひどかったり(晩飯がバナナ一本だったり)
コミュ障だったり。

色々僕と被る部分が
あったんですよ。

なんだこの人、俺か?

と思いましたね笑

それを聞いたら、
なにやら親近感がわいて
信用できるようになったわけです。

それがネットビジネスを始める
きっかけですね。

それで、ネットビジネスについて
勉強して実践していく事になりました。

最初は、分からない事だらけで
四苦八苦していました。

・サイトってどうやって作るの?
・アフィリエイトって何?
・ワードプレスって?
・FFFTPソフトって何だ?
・コピーライティングとは一体?
・めんどくさい・・・

などなど
わけわかめです。

でも、今までこんな一生懸命
に取り組んだことあったけ?

と言うくらい集中して取り組んで
ました。

自分が片親だったり、
コミュ障だったり、
貧乏だったりと言った事を
忘れるくらいです。

人間は何かに集中している間は
その事しか考えられないように
できてます。

それが幸いして
嫌な事を考えなくなったわけです。

今書いているブログだって、
そこそこ書けるようになりましたが
はじめはチンプンカンプンでしたからね。

最初は、本当にクソ過ぎて
見るに堪えない記事を書きまくって
ましたから。

健康に関するマメ知識てきな
ブログをやってたんですけど、

野菜を食べると健康にいいらしいですよ♪

みたいな誰でもそんな事知っとるわ!
みたいなクソつまんない上に
役に立たない事を書き連ねていましたからね。

今は何とか、読まれてコメントも
頂けるようになりました!

これは、本当にうれしいですね。

僕みたいな片親育ちで、
コミュ障でも人の役に立てるんだと
実感しましたからね。

今まで邪気をまとっているような
暗い人間でしたが、

人を喜ばせたり楽しませたりするのが
好きになりましたから。

昔は、人の成功を妬んだり
人の失敗をみて

「よっしゃー!ざまあみろ」

とか思うほどねじ曲がった性格を
していましたからね。

親のせいで散々な人生を
歩んできましたが、

今更その事で親を責めても
意味はないことにも気づきました。

ビジネスって全部自己責任の世界なので
人のせいにしても自分にとって何の
プラスにもなりませんから。

でも、逆に言えば自分で意思決定できるので
すごく楽しいです。

僕はもう、
誰かに自分の人生を左右されたくありません。

親にも会社にもね。

全部自分で決定して
道を切り開いて行きたいんです。

そのためには、自分で生きていく
力をつけていくしかありません。

そのために、僕はこれからも
ビジネスの世界で戦っていこうと思います。

片親で育ったというハンデが
あるからこそ普通の人には
負けないくらい頑張っていきます。

最後に

今まで長々と記事を読んでくださり
ありがとうございました。

もちろん、世の中には僕よりも
不幸な方はたくさんいらっしゃいます。

虐待されたり、ネグレクトを受けたり
親に捨てられて施設に預けられたり。。

僕はそこまでの経験は
してこなかったです。

でも、そんなつらい境遇にあったからこそ
誰よりも幸せになる権利があると
僕は思っています。

それに、つらい経験を乗り越えた人は
他人に優しい人間になれると信じています。

親に対する憎しみはあるでしょうけど、
憎しみからは憎しみしか生みません。

他人を憎むよりも
他人を幸せにした方が
自分も幸せになれます。

少なくとも僕はそう思います。

ちょっとクサいセリフを言いましたね笑

それでは、この辺で失礼します。
長々とお付き合いありがとうございました(__)

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